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【今を生きたい人必見!】ドラマ『遠い日のゆくえ』ネタバレなし感想と考察 ~孤独死した女性の人生を紐解く心温まるストーリー

2020年12月26日

今回は、日本のテレビドラマから永山絢斗主演『遠い日のゆくえ』(2011年ドラマW放映)。

第3回WOWWOWシナリオ大賞『仄かに薫る桜の影で』をもとにした作品。

興味がある人

現代社会の問題を扱った作品を観てみようかな。

それなら、日本のテレビドラマ『遠い日のゆくえ』はどう?
現代社会の孤独死の増加を背景にして作られた作品なんだけど・・・
決して明るい作品ではないけれど、いろいろ考えさせられていい作品だと思うよ。
今まであまり意識したことのない視点で作品を観れるのは有意義だったよ~

モモセ
興味がある人

普段意識したことのない視点や感情に出会えるのが映画の醍醐味なんだよね~

そうそう!
だから、私たちは映画を観ることをやめられないんだろうね。

モモセ
興味がある人

うん、そうだね。
孤独死の問題とかどこか避けてたけど、一度考えてみようかな・・・
てわけで、本作品のみどころなんかを教えて欲しいな。

まだ観てない人にも読んでもらいたく、私なりの視点になりますが、つづってみたいと思います。

ドラマ『遠い日のゆくえ』の作品情報

あらすじ

特殊清掃業の見習いの主人公・宮脇高志(永山絢斗)は、その日も孤独死をした女性の生前住んでいたアパートの部屋を清掃をしていました。

心筋梗塞で亡くなったその部屋の住人の名は、沢村喜和子(風吹ジュン)。58歳という若さでした。

大家によれば、喜和子はその部屋を賃借する際、どうしてもその部屋がいいと強く主張していたそう。

部屋の掃除を終え、喜和子の遺品をダンボールにまとめた高志ら清掃員は、部屋を後にしました。

そして、喜和子の遺品は、しばらく高志のいる会社の供養を控える物品が雑多に置いてある部屋に置かれることになりました。

ある日、高志は、遺品が置かれているその部屋の中から、日記帳写真を見つけます。

それは、偶然にも喜和子の遺品たちでした。

日記の中を何気なしに見た高志でしたが、しだいにその内容に引き込まれていきました。

家に持ち帰るほどのめりこんでいました。

そして、喜和子の『死にたい』という心の叫びを目にし、ますます喜和子がどのような人生だったのか興味がわきます。

高志は、喜和子のどんな人生だったのかを探るために、喜和子の故郷の金沢へ出向きます。

そこで、見つけたものとは・・・

※特殊清掃業とは、掃除業の一形態であり、Crime Scene Cleaners(事件現場清掃業)と呼ばれる掃除を指すことが多い。事件、自己、自殺等の変死現場や独居死、孤独死により遺体の発見が遅れ、遺体の腐敗や腐乱によりダメージを受けた室内の原状回復や現状復旧業務を指す。(Wikipediaより)

ドラマ『遠い日のゆくえ』のネタバレなし感想

今を生きる人のために~目を覆いたくなる現実をあえて描く!

喜和子が生前住んでいたシーンの清掃からこの作品は始まります。

むごたらしい現実がまざまざと映し出されているので、気分が乗らず、観るのを一度やめてしまいました

でも、再度観ることにしました・・・やはり現実を直視してもいい日といけない日が自分の中でもあるようです。

というわけで、はじめのシーンはインパクト大の演出。

社会で今このようなことが起こっていますということを大々的に表現したかった・・・表現せざるを得ない現実があることを知ってほしいというように感じました。

その後のシーンでは、目を覆いたくなるようなシーンは見受けられなかったと思いますので、ご心配なく。

過去と現在の4本立てで尊い命の大切さを教えてくれる!

過去と現在の二本立て・・・よくお見受けするこの手の作品。

ただ、この手の多くの作品は、自分の人生の過去を回想して現在の心境を語るみたいなのだと思うのですが、本作品はちょっと違いますね。

見ず知らずの他人の”死”から、その人の人生(過去)を知り、そこから得た”生”の素晴らしさを、自分の人生(過去)の向き合い方、そしてこれからの人生に反映させる。

そんな内容になっています。

だから、正確には、〈他人(喜和子)の人生の過去と現在(”死”)〉と〈自分(高志)の人生の過去と現在〉の4本立てといえるかもしれません。

他人の人生を見て、自分の人生を見つめなおすということはあっても、亡くなった方、しかも見ず知らずの人の人生を見て自分の人生を見つめなおすということは、なかなか現実にはないことだと思います。

なので、主人公の故人の故郷に出向いて探るという行動は、現実的にみると独りよがりで突拍子もない行動といえるでしょう・・会社のコンプライアンス的にも問題ありそうですし。

でも、尊い命の大切さを私たちに気づかせてくれるには必然的な行動であり、自然な脚本構成だったと思います。

生きることと死ぬことの意味を、考えさせられるシーンが次から次へと出てくるので、内容的に濃いです。

命という命題が詰まっていて教科書のような作品だなとも思いました。

喜和子の娘役・富田靖子の「もう一度あいたかった、母に・・」に感動!

ネタバレになるので、くわしく書けませんが、喜和子には娘今西桜子(富田靖子)がいました。

その娘との関係性についても、描かれています。

その娘富田さんが、母の死後、母に対するこみあげてくる想いを表現するシーンがとても印象的で感動的でした。

人は、自分ではない他人の死を悼み、悲しみます。

身内であればなおさらです。

さらに、故人の生き方、生きていた意味、生きていた時の想いを知ると悲しみが枯れるまでどれだけの時間がかかるか想像できません。

富田さんの演技には、そうした母の人生を受け止めて、感じ取ったという想いが込められていたと思います。

ドラマ『遠い日のゆくえ』の考察

高志はどうして喜和子の人生に興味をもったのか?

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出典:amzon

誰でも他人の日記を見てみたいという欲はあるでしょう。

ちょっと興味本位というか、他人の人生の一部を覗いてみたいという・・・でも、高志のように、故人の日記を読んで、その人の故郷まで行ってしまう人というのはそういないでしょう。


前述したように、高志の独りよがりのぶっ飛んだ行動といえばそれまでですが、このような行動に出ることができた背景には高志のどういった心理が潜んでいるのかなぁと思い、私なりに少し考えてみたいと思いました。

そもそも、人は自分が人生のどん底にいる時、同じ境遇の人・境遇だった人に興味をもつと思います。

自分がどん底の気分の時に、幸せの絶頂にいるような人にあまり興味がわきません。

自分が落ちぶれている時に、雲の上の存在の人、例えば、成功者で大富豪の人なんかの人の自己啓発本を見るのは、嫉妬の対象にすらならないから興味を持つかもしれませんが・・・

嫉妬の対象となる人の範囲内では、自分とあまりにも違いすぎる人を避けようとして、逆に、自分と同じ境遇にある人、同じ境遇にあった人に興味がわくと思います。

それはなぜか?

自分の人生がどうなるか知りたいから。”
”自分の人生が今後良くなるのか知りたいから。”
”自分と同じどん底の人でもいい人生が送れるのか知りたいから。

つまり、自分の人生を切り開いていく術があるのかあるのならばそれはなんなのかを知れる可能性があるから興味が湧いてくるのではないでしょうか。

高志が喜和子の現場に赴いた時、日記を手にとった時、高志は自分自身のことを『なんのために生きているのか』『自分に生きている資格があるのか』と自問自答していました。

彼は、人生のどん底にいたわけです。

喜和子のむなしい最期・・・喜和子の日記の『死にたい』という若かりし頃の心の叫びを知り、彼の中で彼自身が生きていく意味、生きる術を知れる可能性があると無意識か意識的か分かりませんが、感じたのではないかと思います。

高志が、喜和子が働いていた助産院で投げかけた言葉がこのことを物語っていると思います。

「(喜和子さんは)幸せだったのでしょうか。

現代社会において、リストラや孤独や介護など、先行きの不透明な不安に押しつぶされそうになっている多くの人がいます。

そういった人の励みになるのは、たとえ孤独死であろうと壮絶な死であろうと、その誰かが輝いていた、一生懸命生きていた過去の人生だったりするのかもしれません。

そういった意味で、日記を遺すというのは、生きている人にとって大切なものなのではないかと思います。

『人の価値は死に方で決まる』という考え方についての考察

その人が生前どんな人であったかは死に方で決まるということを聞いたことがあります。

死生観を含めたこの手の本を私はまだ手にとったことがないので、あまり考えたことがなかったのですが、今回この作品を通して、少し考えてみました。

人の最期をもってその人の価値をはかるとはなんてことだと思う反面、確かに、迷惑のかかる死に方もあるなぁと思ったりもしています。

現に、私の実体験になりますが、近所のご夫婦が亡くなられた時に身よりがなく、生前何もご夫婦が手続きや後見人を立てておらず、市の方が苦労しておられるのをお見受けしたことがありました。

自分の死後のことも、かなり早い段階から考えておかないとと・・・

でもそれは、単にその人の死に向けられた意識であって、何も生きていたその人の価値を形成するものではないのではないかと思います。

本作品でも、死に方だけみれば、喜和子の最期は孤独死であり、異臭漂う部屋の掃除がなされていたことからすれば誰からも看取られないいい死に方とはいえません

でも、喜和子の晩年の生き方は、喜和子の人生の苦労からやっとたどり着いた至福の時を過ごすという素晴らしいものだったでしょうし、彼女の人生は十分価値あるものだったと客観的にみてもいえると思います。

死に方は方法論であり、人の価値は存在論です。

次元の異なるお話であり、『人の価値は死に方で決まる』とは全くもっていえないなぁと思いました。

孤独死を生んだのは社会であって、その人の価値ではないことをきちんと理解しておかなければならないと考えた次第です。

本作品の中で、誰のための特別清掃業なのか?という問いがありました。

遺された家族や遺族のため?
故人のため?
清掃員のため?

私の中では、全てが答えで、一番の答えは、孤独死を生んだ社会かなぁと・・まざまざと見せつけられる惨状を社会に変わり特別清掃員が目の当たりにしているのだとすれば、特別清掃業というのはものすごく重責を背負っている意義あるお仕事だなぁと思います。

まとめ

生と死について描かれた本作品は、シリアスであり人によっては観たくないと思われる方もおられるでしょう。


でも、誰もがいずれは向き合わなければならない問題について、考える機会を与えてくれるいい機会だと思えば、観る価値は多分にあると思います。

本作品は孤独死の惨状を伝えるための作品というのではなく、尊い人の命について教えてくれる心温まるストーリーになっているので怖がらずに多くの人に観てもらいたいですね。

ぜひぜひ、ご賞味あれ。


以上

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